「母の日」は、いつも子供のことを想ってくれているお母さんに感謝をする大切な日ですね。
毎年行われるイベントですが、毎年日時が変わるため「今年はいつだった?」となる方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、今年2023年(令和5年)の「母の日」がいつなのか、そして気になる「母の日」の起源や日本での由来についてもご説明しますので、どうぞ合わせてご覧ください♪
Sponsored Links
目次
2023年の「母の日」はいつ?
今年、2023年(令和5年)の「母の日」がいつかといいますと、次のようになります。
2023年5月14日(日曜日)
令和5年5月14日(日曜日)
※「母の日」の起源は、世界の国によって様々です。その為、「母の日」を祝う日付は国によって異なります。
(例)
アメリカ → 日本と同じ5月第2日曜日
フランス → 5月の最後の日曜日 ノルウェー → 2月の第2日曜日 ロシア → 11月の最後の日曜日 |
日本では、「母の日」が毎年日曜日に当たるため、「母の日」を祝日だと勘違いしている方もいるかもしれませんね。
実は、日本の祝日法では、「母の日」は祝日と定められていないそうです。
個人的には祝日にしていいのでは?と思いましたが、どうやら「母の日」の起源が外国からきていることと関係があるようですね。
まあ、日曜日は休日なので、お祝いするには問題ないといったところでしょうか^_^;
スポンサーリンク
「母の日」の起源について
「母の日」の起源・由来は国によって色々な説がありますが、日本の行事になっている「母の日」の起源は、アメリカからきています。
そこで今回は、アメリカの「母の日」の起源・由来についてご説明します。
「母の日」は、お母さんが大好きなアメリカ・ウェストバージニア州生まれの、アンナ・マリー・ジャービス(1864年~1948年)さんが起源だと言われています。
※晩年の頃のアンナ・ジャービスさん
アンナさんは、お母さんのアン・ジャービスさんの事が大好きで、とても仲の良い親子関係でした。
また、母親の偉大さにいつも尊敬していたそうです。
アンナさんは、母親の励ましにより大学へ進学したり、仕事のために母親とはなれて生活しても、手紙でやり取りするなどして親密なつながりを維持していました。
また、母親のアンさんが心臓の問題のために健康が低下したときは、彼女の大半の時間を母親に費やし看病したそうです。
そして1905年に、大好きだったお母さんを亡くしました。
アンナさんはしばらくの間、「もっと親孝行すれば良かった・・」とおもい続けていたそうです。
そして母が亡くなって2年後の1907年5月12日、アンナさんは教会でお母さんの思い出を友達と話しているときに、素敵な考えを思い浮かべます。
それは、「お母さんに感謝をする特別な日をつくるというのはどうかしら?」ということでした。
アンナさんの考えに賛成した沢山の人たちは、1908年5月10日に同じ教会に集まり、1番最初の「母の日」の式を開き、お祈りをし、祝いました。
その後1914年、5月の第2日曜日を「母の日」とし、アメリカの正式な記念日になったということです。
このような起源・由来により「母の日」が誕生したのですね!
スポンサーリンク
「母の日」の由来になったアンナさんの母親はどんな女性?
ここでは、アンナさんが「母の日」を考えるきっかけをつくったともいえる、母親のアンさんがどのような女性だったのかについてご説明します。
母親のアン・ジャービスさんは、当時衛生状態が悪かったために7人もの子供を小さいうちに病気で亡くしました。
このような辛い経験をしたアンさんは、健康と衛生状態を改善するために、複数の地域の女性たちと『母の日ワーククラブ』をつくり、地域での医療補助活動を始めます。
また、『母の仕事の日』と称し、南北戦争の戦いで負傷した兵隊達を敵味方関係なく看護したりもしました。
このように、自分の辛さをバネにして、地域改善のために働いたり、奉仕活動を行うような偉大な方だったのです。
アンナさんが母親を尊敬するのも頷けますよね!
また、母の日に贈る定番のお花といえば、カーネーションですが、
実は、このカーネーションを贈る由来もアンさんが関係していることをご存知ですか?
詳細はこちらの記事よりどうぞ☆
「母の日」を世界で1番始めに考えた人は誰?
実は、アンナ・ジャービスさんよりも以前に「母の日」を考えだした方がいたことをご存じですか?
その方は、ジュリア・ウォード・ハウ(1819/5/27~1910/10/17)というアメリカの女性です。
裕福な銀行家の父を持つ彼女は、小さい頃からイタリア語・フランス語など数多くの言語を学び育ちました。
大人になると、奴隷制度廃止運動家・政治活動家・詩人として活躍しています。
詩人としては、「リパブリック賛歌」という南北戦争での北軍の軍事曲を作詞し、その後世界で有名になります。
日本では1965年に詩人の阪田寛夫さんが、NHKの音楽番組のために子供向けに作詞された「ともだち賛歌」として有名です。
「リパブリック賛歌」の歌詞はこちらよりご確認できます↓
また、政治活動家でもあるジュリア・ウォード・ハウさんは、1870年に『母の日宣言』を書かれました。
どうやらジュリアさんは、アンナ・ジャービスさんの母親の、アン・ジャービスさんと知り合い(友人?)だったようで、『母の日宣言』はアンさんの『母の仕事の日』の活動にヒントを得て書かれたともいわれています。
その『母の日宣言』は、子供や父親を戦場へと送り出すことを拒否するため、「女性が世界の平和のために団結しよう」と訴えるものでした。
そして、毎年6月2日を「平和の母の日」として祝うよう頼んだそうですが、そんなハウさんの願いは届かなかったということです。
もしハウさんの想いが届いていたら、「母の日」は毎年6月2日になり、現在の「母親に感謝する日」という意味とは違っていたかもしれませんね。
スポンサーリンク
日本で初めて「母の日」が行われたのはいつ?由来とは
さて、本来アメリカの記念日だった「母の日」が日本に伝わったのはいつなのか?初めて行われたのはいつなのか?
日本での由来についてご説明していきますね。
日本で一番最初に「母の日」を広めようとしたのは、明治時代に青山学院で3年間にわたり校長を勤めていた、メアリー・J・ホルブック(1852~1912)さんです。
彼女は1908年からアメリカで行われるようになった「母の日」を、日本に広めようとしましたが、病により倒れてしまいます。
その後、大正時代に4年間青山学院で教えていたマイラ・E・ドレーパー(1859~1935)さんが、メアリーさんの意思を受け継ぎ、1913年に日本で初めて「母の日」の行事を行いました。
また、明治時代に2年間にわたり青山女学院院長を務めたファニー・G・ウィルソン(1868~1957)さんも、メアリーさんとマイラさんの意思を受け継ぎ、日本各界の著名人に「母の日」が行事として行われるよう働きかけた結果、1932年に日本で初めて「母の日」が公式行事としてお祝いされるようになったのです。
元々アメリカの行事だった「母の日」が日本にも伝わったのは、青山学院の3人の女性宣教師の働きかけのおかげだったのです。
日本に「母の日」を広めたのはアノ会社!
1931年に、大日本連合婦人会が結成された際に、昭和天皇の世妃(正妻)の誕生日である3月6日を「母の日」に定めていた時期がありますが、あまり普及しなかったようですね。
そんな「母の日」を日本で全国的に広めたとされているのが、あの国民的人気お菓子メーカーの森永といわれています。
森永は、各団体に協力を呼びかけ、1936年に『母の日中央委員会』を設立。
翌年(1937年)は、『第1回森永・母の日大会』を豊島園で開催。
ポスターを貼っているお菓子店に招待券を配り、なんと20万人ものお母さんの電車賃・豊島園の入場料などを無料にしたそうです。
当日園内では、母をたたえる式が行われるなどして、子供達と楽しく過ごすお母さんたちで盛大ににぎわったそうです。
その後も、全国の主要都市を舞台に『森永・母の日大会』が毎年行われることで、「母の日」も次第に定着していったということです。
これだけ盛大に行われたら、それは広まりますよね♪それにしても森永製菓さんは太っ腹です!
その後、アメリカの日付を見本にして、日本でも1949年ごろから5月の第2日曜日を「母の日」とし、現在にいたっています。
これらの出来事が、「母の日」が日本に伝わり、広まった由来とされています。
まとめ
いかがだったでしょうか。
もう一度、今年の「母の日」がいつだったか忘れないように、書いておきますね^_^
・2023年5月14日(日曜日)
・令和5年5月14日
それでは、今年の「母の日」もご家族で楽しくお過ごしください♪
ありがとうございました!
☆こちらの記事もオススメです☆
【参考資料】
・CHRISTIAN TODAY / 日本の「母の日」は青山学院から 日本に「母の日」を定着させた3人の女性宣教師
・森永ミュージアム/全国のお母さんを無料でご招待